中国人ってイタリアで何してるわけ?【第一章】

世界中に進出する中国人。
イタリアも例にもれず、特にトスカーナ地方のプラート市には観光客向けではない中華街ができております。
決してイタリアに馴染もうとせず、孤立し、団結して生きてゆく中国人にも、最近、少しずつ変化の兆しが…。
4回シリーズの第1回目であります!

イタリア 『中国人ってイタリアで何してるわけ?』

『外国人』がウロウロしているわけでもない。土産物屋もなければ、レストランの軒先にぶら下がっている赤い提灯も見たらない。
プラート市にあるのは、観光客向けのチャイナタウンなんかではないのだ。中国南部の一部分がトスカーナ地方の一画に、すっぽり移ってきたようなものなのだから。

広場に建つスーパーマーケットのガラス戸には大きなモニターが備えられていて、ブルーの画面に仕事の募集案内が中国語で流れてゆく。工員、事務員、店員、お針子など。フェイクレザーの黒いジャケットを着た若者達の一団が不安げな面持ちで画面を見つめ、白い紙っ切れに電話番号をメモしている。

この若者達が、プロント・モーダ(流行をつかんだ企画型の定番商品。短いサイクルで生産し、すぐに市場で販売するメーカー卸機能のこと)における、低い人件費で働く強力な中華リクルーター達なのだ。
企業数3,400社、従業員数4万人(違法滞在者も含む)、総売上高20億ユーロ。
ここ、ピストイエーゼ通りとフィルツィ通りの間では、切れ長の目をした人々が暮らし、店々のカウンターで客を待っている。スーパーマーケットでは白菜が売られ、床屋では男の子のうなじに尻尾のような一房を残して髪を刈り上げているのだ。
この2つの通りが、プラート市民にとっては地獄の始まりとなり、多くのイタリア人にとっては一つの証明となった。
中国人がイタリアに溶け込むには遥か遠くの道のりにあり、彼らは自給自足の要塞の中に閉じこもり、この国を我々イタリア人の手から少しずつかすめ取っていくのだと。

しかしながら、新聞の見出しやら色眼鏡やらに惑わされずに目を向けるなら…ローマのヴィットリオ広場に建つ店舗を覗いてみるとか、ミラノ大学の経済学部や工学部のキャンパスをウロウロしてみるとか、フィレンツェ中心街にあるブティック街を歩いてみるとかするならば、わずかな兆しに…何かが変わりつつあることに気がつくだろう。
イタリアに居住する中国人が、この地に溶け込み始めているのだ。ぜひ、そうしたい気持ちが少々、仕方なくと言う気持ちが少々から。
イタリアはカリフォルニアではない。中国人が母国語よりもイタリア語の方を流暢に話す…と言うことはなく、その兆候はまだ現れていない。しかし、それは時間の問題に過ぎないのだ。

だんだんと中国人らが、ホンユー・リンさん(42才女性)のようになりつつある。
フィレンツェ近郊の小町で、プラート市に先だって『イタリアのチャイナタウン』と名付けられていたカンピ・ビゼンツィオ市で、ホンユーさんは融合問題担当の評議会議員を務めている。
「中国人がイタリアの政治組織に加われるよう、また、あらゆる面において自分達もイタリア人であると感じられるようになるための、期待の星なんですよ、私は。」とホンユーさんは言う。
1989年天安門事件の翌日に大学を卒業し、すぐにイタリアへとやって来た。経済的なチャンスと民主主義の自由が結びつく国家を求めてのことだった。IT産業ブームの中、トレンティーノの町で夫がIT企業に雇用され、こうしてトスカーナが第二の祖国となった。
現在は新市長のアドリアーノ・キーニ氏(PD:民主党)が奮闘している。中国人が法や地元の習慣を遵守し、このアジア第二世代らが提供する巨大なチャンスにイタリア人が気づくよう闘っているのだ。
「イタリア市民が中国人を受けつけないのは、中国人がルールを遵守しないからです。ただ、違法雇用や契約なしの賃貸を中国人に伝授したのは、まさにイタリア人なんですけどね。そうやって、移民が早々に覚える唯一のルールが『税金は払わないこと』になってしまうわけですよ。」

[ 第二章に続く ]

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事: La Repubblica 2011年01月03日


イタリアの評議会議員に中国人がなるって…スゴい。

イタリアに来てから
中華を作ることが多い管理人に声援クリックPrego!

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