ベルナルド・ベルトルッチ:リトル・ブッダはブルーナットのおかげ【後編】

3回シリーズで掲載してきましたベルナルド・ベルトルッチ監督のインタビュー記事、本日が最後となりました。
まだ全然読んでないよ〜と言う方は前編中編からどうぞ!

『ベルトルッチ監督:リトル・ブッダを撮れたのは友ブルーナットのおかげ』

同じくアンダーグランド世代で、亡くなったアルベルト・グリフィがこう言ってました。
“新たな人生を送らないんだったら、決して新しい映画は作れないだろう”と。
かなり思い切った見解ですが、同意されますか?

「同じ事も私も言うでしょうね。映画1本1本が新しい人生だとね。我々、映画作りをしている者はツイてますよ。ひとつひとつのプロジェクトによって、新たな人生に押し出されるんですから…。それぞれの映画のおかげで、たくさんの転生を果している(笑)。
この点については、Khyentse Norbuと言う名の仏教僧のことが頭に浮かびますね。『リトル・ブッダ』の製作中にアドバイスを与えてもらってた僧なんですが、その後、彼自身が『ザ・カップ』と言う映画の製作を始めたんですよ。
私の方の映画製作の終盤辺りのことを覚えてますよ。その時、我々はシアトルにいたんですが、彼がこう言うんですよ。“ここでの私の使命は終わりました。これから瞑想と祈りの時が始まります。”って。
彼が言うには、明日にはブータンに戻り、40日間誰とも話さず、門の外に置かれた食べ物だけを食べて過ごすのだと。ちょっと羨ましく思ってね。シアトルと言う非常に俗っぽい、スーパーアメリカチックで文化的な場所から、ブータンの隠遁所へと移っていける彼の能力をね。
僕はパオロのことも羨ましく思ってたんですよ。『リトル・ブッダ』を撮っている時、我々が語っている物語を、彼はある種の方法で信じていた。私は違ったんですけどね。私が彼を羨ましがっていたのは、多分、全生涯に渡って彼がスーパー8カメラを片手に、映画を取り続けていられたと言うのもあるんでしょうね。メジャーな映画会社を必要とせずにね。」

ベルトルッチ監督は仏教から強い影響を受けられたと仰ってましたよね。
「マルクス主義への傾倒後、もっとどっぷりとはまった経験になりましたね…。」

これ以上の質問は不要だろう。ベルトルッチ監督は『リトル・ブッダ』について最後に一言だけ残してくれた。
「私が最も落胆したのは、東南アジアの全ての国々から作品の上映を拒否されたことですね。ブッダの横に『リトル』と付くのは侮辱的だと言われたんです…。」

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事: La Repubblica 2010年12月17日


昔々、父と喧嘩して家を飛び出した管理人…
仕方なく途中入場した映画館でやってたのが
『リトル・ブッダ』でした。若かったな。

いまだにきちんと全編観ていない管理人に声援クリックPrego!

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