マーラ・カルファーニャ美人大臣の軌跡Part.2:大学卒業〜政界

イタリアの美人大臣マーラ・カルファーニャ。
ミス・イタリア入賞からセクシー・タレントを経て政界入り、そして大臣就任。
美人好きのベルルスコーニ首相に気に入られてのスピード出世が、マスコミから叩かれないはずもなく…
遂に政界引退を表明してしまいましたが、ここまでなかなか頑張ってもきたようですぞ。
それでは、美人大臣の人生の軌跡、後半をどうぞ。
パート1がまだの方は、そちらも合わせてどうぞ!

イタリア 『カルファーニャ大臣、大学卒業から政界入りまで』


2001年サレルノ大学法学部を優秀な成績で卒業。卒業論文は『情報およびラジオ・テレビシステムに関する法律』について。
Forza Italia(がんばれイタリア党)に入党し政治キャリアをスタートさせる。その後、同党はPopolo delle Liberta(自由の国民党)に加わることとなり、カルファーニャ氏もそのまま在籍。


上記写真は2006年5月8日撮影されたベルルスコーニ首相とタレント出身のマーラ・カルファーニャ下院議員。国会でのイタリア大統領選にて。


2008年の下院議員選挙に立候補して。Popolo delle Liberta(自由の国民党)がカンパニア区第3位で指名し擁立。
同様に過去にも一度立候補している。



2008年5月8日、ベルルスコーニ第4次内閣の機会均等担当大臣に任命される。


法律の擁護者として活躍。いわゆるストーキング規制法(ストーカー行為の加害者には6ヶ月〜4年の懲役刑を課す)をマローニ法の中に取り入れた。


2008年、ベルルスコーニ首相とカルファーニャ大臣による電話での会話内容が盗聴されたと言う疑惑が生じ、議論の的となる。
会話内容は性的奉仕や、オーラル・セックスによる性関係についてとされていた。


2008年9月、カルファーニャ大臣による売春法案(街頭および公共の場で売春行為を行なった者に対する新たな罰則)をベルルスコーニ首相が承認。
同法案はメルリン法を改訂したもので、公共の場での売春行為は利用者だけでなく売春婦をも罰するものとしていた。
上記写真は記者会見で撮影されたもので、右からアルファーノ法務大臣、カルファーニャ大臣、マローニ内務大臣。


2008年、FGM(女子割礼)に対する世論を喚起すべく、機会均等担当省の予算でキャンペーンを実施。
写真は急進党リーダーのエンマ・ボニーノと。


2009年3月8日、コソボのPEC基地に派遣されている81名の女性兵士を慰問し、以下のようにスピーチした。
「祖国と国際協力のため、憎悪や痛み、苦しみ、苦悩の舞台となっている場での任務を果たしてください。皆さんはイタリア全女性の誇りです。」


ゲイ・カップルに対する発言のいくつかが少なからぬ問題を引き起した後、カルファーナ大臣は方針を変更し、『同性愛者に対する偏見』に反対すべく活動していった。
2009年には異性愛、同性愛にかかわらず、いかなる差別も糾弾すべきとするTVスポットを後援した。
上記写真は民主党のパオラ・コンチャ下院議員と。


2010年地方選挙ではカンパニア州より評議員選に立候補する。5万5,695票を獲得し、歴代の評議員選における最高獲得票数となったものの、大臣職を続けるため辞退している。

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:La Stampa 2010年11月21日

思いの外、マーラ大臣がきちんと仕事をしたんで
びっくりしたイタリア人も多かったようですが…
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