あの伊建築家がイタリアを語る【前編】:レンゾ・ピアノ

世界的に有名なイタリア人建築家、レンツォ・ピアノ。
日本では関西空港の設計者として知られているでしょうか。
最近、そのレンツォ・ピアノのロング・インタビューが伊紙に載ってたんですが…
えらい長いもんですから、前・中・後の三回シリーズにしてみました。
あのレンツォ・ピアノが幼少期の思い出から現在のイタリアへの想いまでを語っております!!

パリ 『イタリアに唾するのを見ると腹が立つ。グリッロの運動は正しい』

「私はジェノヴァ出身で、ここ何年もの間、世界中を回って歩いているのに、ジョノヴァ訛りのままなんですよ。それか、もしかしたらジェノヴァ訛りが癖になっているのか、面白がってるのかなかな。どうなんでしょう。
でも、自分自身はミラノで形成されましたね。大学2年まではフィレンツェの方で通ってたんですが、すかっり飽きちゃって…。フィレンツェは非常に美しい。完璧さで成された町ですよ。それで、自分の首を締めてしまう。建築家になっても無駄ですから。それに比べて、ミラノは不完全な町。途方もなくね。いまだにそうですね。」

パリでユダヤ人やゲイ、アーティストらが集まる街…マレ地区を走るボーブール通りから300mほどの所に、建築家レンツォ・ピアノのアトリエがある。
「もちろん、建築家にもアーティスト的な所が少しありますよね。ただ、建築家が最も気にかけるべきは景観の中に痕跡を残す事ではなく、人間が生活しやすいようにする事であって。テクニックとしてアートを見るならば…つまり、『tekné(統べる技術)』として見るなら異端なことですね。…と言うことは、私はちょっと異端児なのかな。」

アトリエの中は、大きなガラス戸から差し込む陽光と木製の模型があふれている。
「時々、パリッ子達が訪ねて来て
は、椅子とか傘の修理を頼めますかって聞いてくるんですよ。ここを何かの職人工房と間違えて来てしまうみたいで。まぁ、全く見当外れとは言えませんけどね。」

それぞれの模型は作品であり、各作品の背後には多くのデザインが、レンツォ氏自らが合格点を与えた設計が潜んでいるのだ。
「もう勘でやりましたね。友人で指揮者のアッバード氏なんか、100人ものヴァイオリン奏者を指揮していて、もし1人が0.1秒でも遅れたらパッと合図を送って修正するんですよ。」
最も新しい設計図は湖の真ん中に立つ巨大劇場のもので、1・2階それぞれに演劇用とヴェトナム音楽のコンサート用のホールが設えてある。ハノイの新オペラハウスであり、レンツォ氏が国際コンクールで勝ち得たばかりの作品だ。出品者の中には、英建築家ノーマン・フォスター氏もいた。

「ヴェトナムは途方もない国ですよ。人口は8500万でドイツ以上、25才以下が過半数を占め、90%が読み書きを修得している。もの凄いエネルギーと向学心、教育への欲求が、伝統文化にも目を向けながら存在している。こう言う前段階があって、新オペラハウスのプロジェクトが生まれているんですよ。水と竹、ガラスを使ってね。
人間のために、社会生活のために考慮された長い連鎖的な作業の一番先端にある輪なんですよ。ショッピングセンターなんかは、もういいじゃないですか。人々が音楽の周りに集い合う…そんな場所を作りましょうよ。ローマのアウディトリウム(音楽ホール)とかね。あそこも一つの区域のようになりましたから。もしくはアートの周りに集う。我々が最近、創り上げたロサンゼルス・カウンティ美術館とかね。
その都市が持つマジックって言うのは、往々にしてそこの土地から受ける刺激によるものです。郊外の土地を『破壊』してゆくことじゃありません。内側に抑えつけられた力を解放してやりながら、形を変えてやる必要があるんです。」

ピアノ氏が設計したアウディトリウムの模型などは、まるで船体のように見えますが。
「ジェノヴァの町の受け継いだものですね。幼い頃、毎日曜の朝、父に教会のミサに連れて行ってもらってました。その後で港へ行ってたんです。父は生粋のジェノヴァッ子だから、ほとんど喋らなくてね。でも、1950年代のジョノヴァの港ってね、言葉は不要の景観でしたね。コンテナなんかも無くて、物がそのまま宙を行き来してましたよ。自動車がそのままクレーンに吊られてたりとか。スーツケース無しで旅してるみたいな感じですよ。着替えのシャツを手で抱えて持って歩いてるようなね。建物も常に動いていた。当時、船は『Bastimenti(伊語・貨物船の意)』って呼ばれてました。フランス語の『batiment(建造物)』のことですよね。つかの間のだけの傑作ですよ。すべてが空中を舞い、浮遊する。重力の法則に挑戦するような建築が創りたくなりますよ。ヨットと言うものに気づいたのは、もっと後になってからでしたね。自分で船を設計して、海の方から港を眺めることも始めたんです。」

ご両親は宗教には熱心な方々でしたか?
「母はそうですね。大変に熱心です。父は、今思うと、いわゆる神を畏れる社会主義者
でしたね。現在でも、私は毎日曜、ミサに通っています。妻のミリーと、4人息子の末っ子ジョルジオを伴ってね。今、11才なんですよ。パリに居る時は、ノートルダムかサン・ポールに行きます。ミサの終わりには100デシベルものオルガン演奏があって、神への畏怖の念を喚起するんですよ。」

若かりし頃ののピアノ氏は、優秀な生徒ではなかったと言いますが。
「小学校3年生の時、ある神父さんが母に言ったんですよ。この子供は望みなしの頑固者ですねって。精神科医の所にまで連れて行かれましたよ。そこでは普通の子供だって診断されましたが。ただ、どうやって勉強して良いのか分からなくて、ぼんやりした子供でしたね。高校の頃は再試験ばかりでしたね。落第も2度しました。」

ジェノヴァでの幼なじみに、シンガーソングライターのジーノ・パオリ氏がいますね。
「ボーイスカウトで一緒だったんです。でも、彼は組長で僕は普通のスカウトでしたけどね。それで、2007年に僕が70才になった時、彼からスカウト帽をプレゼントしてもらいました。当時は、まだ歌は歌ってませんでしたね。絵を描いてましたよ。一度、学校の壁にフレスコ画を描いてたことがありました。むしろ、僕の方が楽器をやってたんですよ。トランペットを吹いてました。で、そのジーノ・パオリから、やめた方が良いぞって説得されたんです。」

[ 中編に続く ]

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Corriere della Sera 2010年10月11日

…と言うわけで、レンツォ・ピアノの幼なじみ、ジーノ・パオリの曲もどうぞ!実は、この曲、管理人のイタリアでのお気に入りの1曲なんですよ。

70才の誕生日パーティーで
真っ赤な着ぐるみの足の部分だけ履いて
喜んでたレンツォ・ピアノ…
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