アルド・モーロ夫人逝く

イタリア近代史の中でも、謎の多い事件のひとつに『アルド・モーロ元首相誘拐事件』と言うのがありまして。
誘拐犯である左翼テロ集団が仲間の釈放を訴えたものの、当時のイタリア内閣がこれを拒否し、モーロ元首相は殺される…と言う事件なんですが、語れば長く謎だらけの事件のようなんです。
そして、その事件の陰で泣き、苦しみ、戦い続けていたモーロ未亡人がお亡くなりになりました。

ローマ 『モーロ未亡人逝去、『強硬路線』に抗議』

エレオノーラ・モーロさんが亡くなった。
テロ集団『ブリガーテ・ロッセ(赤い旅団)』によって誘拐、殺害されたアルド・モーロ元首相(キリスト教民主主義)の未亡人だ。
享年95才。葬儀は本日午後、アルド・モーロ氏が眠るローマ県内トッリータ・ティベリーナ市で執り行われ、遺体もモーロ氏の傍らに埋葬されることとなっている。
エレオノーラ未亡人が息を引き取ったのは、夫婦の歴史が閉じ込められたローマの自宅であった。世間にはあまり知られていない、だが、深く濃い歴史だ。
(上記写真:中央左よりのカップルがモーロ夫妻)

1978年3月16日、ローマのファーニ通りで警備員らが殺害され、夫モーロ氏が誘拐される。
口が堅く、はっきりとした気性のエレオノーラ夫人はその後、夫の命を救うべく、ありとあらゆる人物を訪ねている。決して諦めることなしにだ。

その堅い信念はローマ法王パオロ六世をも説き伏せ、『ブリガーテ・ロッセ(赤い旅団)』のメンバーらの心を動かす手紙を書かせるにまで至った。
エレオノーラ夫人は、イタリア社会党書記長であるベッティーノ・クラクシ氏にも希望の灯火を抱いていた。クラクシ書記長は赤い旅団との交渉を進めたがっていたのだ。

しかし1978年5月9日、55日間にわたる監禁の果て、モーロ元首相の遺体がカエターニ通りで発見される。
そして、赤い旅団との交渉で『強硬路線』を支持していた人物らに対し、エレオノーラ夫人は厳しい抗議活動を始めた。
特に、キリスト教民主主義のベニーノ・ザッカニーニ党首、それから、当時の首相であったジュリオ・アンドレオッティ氏、同じく内務大臣であったフランチェスコ・コッシーガ氏に対して。
夫人は抗議活動の一環として、モーロ氏誘拐の際に殺された警備員らの葬儀には参列しながら、モーロ氏の国葬は拒否している。

旧姓エレオノーラ・キアヴァレッティさんがモーロ氏と結婚したのは、1945年のことだった。2人の間にはマリア・フィーダ、アニェーゼ、アンナ、ジョヴァンニの4人の子供が生まれている。
赤い旅団に誘拐されたモーロ氏は、監禁中に86通の手紙を書き綴り、そのうち何通かはエレオノーラさん宛のものだった。
《私のノレッタ。強く抱きしめるよ。お前達が存在していると言う証が得られるのなら、私は幸せな思いで死んでゆけるのに。いや、もちろん存在しているのだ。ただ、この目で確かめられたなら、どんなに素晴らしいことか。》
しかし、これらの手紙は宛先人の元へと届けられることはなく、モーロ氏の死後数年経ってから発見されたのだった。

(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:La Repubblica 2010年7月19日

モーロ夫妻もやっと互いの存在を確かめあえているのでしょうか。
ご冥福をお祈りします。

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2 Responses to アルド・モーロ夫人逝く

  1. TOLOS 2010年7月23日 at 7:10 PM #

    ブログをご紹介くださりありがとうございます。
    ちょうどエレオノーラ逝去に感傷的になり
    久しぶりに深夜までブログを更新してしまいました。
    また、私のブログにもお立ち寄りください

  2. chirico 2010年7月24日 at 8:00 AM #

    いえいえ、こちらこそ、いつもご愛読ありがとうございます。

    今後、続編の方も楽しみにしてますね。

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