殺人映像、その後:死都ゴモラのロベルト・サヴィアーノが語る

『死都ゴモラ』にてカモッラ(ナポリマフィア)の現状を克明に綴り、そのカモッラから命を狙われ、いまだ護衛付きの生活を続けているロベルト・サヴィアーノ。
当ブログでも紹介した『カモッラによる殺人映像』について、そのサヴィアーノ氏による寄稿文がイタリア大手紙に掲載されていると言う情報をいただきましたので、早速、探して訳してみました。
ちょっと長いですが、読み応えありです。
 

 

ロベルト・サヴィアーノ 『世界を震撼させた衝撃映像、町は無関心のまま』

犯人は特定された。ビデオ映像の公開が役に立ったのだ。
発生当初は地方紙の巻末ページに掲載されたにすぎない殺人事件が、このビデオ映像公開によりほぼ世界中で新聞の大見出しとなり、TVニュースの第一報にされた。
今回の犯人は、カモッラ(ナポリマフィア)による犯行の大部分の犯人同様に、まんまと逃げおおせたと思っていたのだろうが、いまや逃亡の必要性を感じているわけである。

国内を震撼させ、海外のマスコミは「こんなことがありえるのか」といぶかしみ、報道機関に触発された政治家は声明を発する。
けれどもナポリでは、結局のところ大したことは起こらない。一陣の風は吹いたものの、いかなるものかは良く分からず…。
そして、以前からマフィア・ファミリー自身は新たなマスコミの明かりに照らされることを好んでおらず、今回も早々に消し去ることができたのを大いに喜んでいる。
しかし、なんらの訴えも届かず、事件が起きたサニター界隈でも反乱は起きなかったのだ。
イタリア全土に衝撃を与えたあの映像を見て、痛手を負ったのはわずかな人々に過ぎず、多くのナポリ市民は不快な注目を浴びせられたと感じている。
頻繁に起きていることに対して、大騒ぎされたと言うわけだ。日々、ナポリ市民が共存している日常の一部に対して。

ナポリ出身の名優エドアルド・デ・フィリッポの名台詞が頭をよぎる。1963年に放映されたTVドラマ『Peppino Girella』の1シーンだ。
エドアルド・デ・フィリッポ扮するアンドレアの妻が、悲惨な出来事を目にする度にこう言う。
「大したこっちゃないさ。」
ナポリでは古くから使われている一言だ。すべてを受け入れようとする分別を表し、また、言い訳の最たるものでもあり、あらゆる変化に対し無感覚だとも言える。
「どうするつもりだい?ときたら、たいしたこっちゃないさって。」と妻が言うと、夫アンドレアはこう返す。
「これも、大したこっちゃない。いつだって、大したこっちゃない。どんな時だって、こうして上手くやってきたんだ。大したこっちゃないさ。
喰うもんがないときたら、大したこっちゃないさって。
何か足りないときたら、大したこっちゃないさって。
ご主人様が死んじまって、俺が職をなくしたってきたら、大したこっちゃないさって。
生きてくための権利なんかないときたら、大したこっちゃないさって。
空気がなくなったときたら、大したこっちゃないさ、どうするつもりさって。
いつだって、大したことこっちゃないさ。
おまえはべっぴんだねぇ〜。おまえは昔、べっぴんだったねぇ〜。俺を見てくれよ。こんなになっちまって。
何回言ってみたって、大したこっちゃないさ。俺もおまえも大したこっちゃなくなっちまった。
仕事を奪う野郎ってのは、金を奪うようなもんだ。正直に生きてくことができないってなら、こう言ってくれよ。
“まぁ、いいさってのは、大したこっちゃないってことさ。泣かないってことは、大したこっちゃないってことさ。”って。
ちょっと出てって、俺が誰かを殺して来たって、大したこっちゃないさ。
俺がいかれちまってキチガイ病院に入れられて、アンタんとこの亭主はどうしちまったんだいって聞かれたら、おまえはこう言うんだぞ。
“大したこっちゃないことで、いかれちまって。大したこっちゃないんです。どうってことないんです。” って。」

手のほどこしようがない時は結局、泥棒と警官の論理へとおさまってしまうものだ。
各人が、各人の役柄に見合った行動をとる。役柄をこえて、やりすぎてしまうなんてことなしに。この土地では変化が求められて然るべきはずなのに、こんなことはふさわしくないと信じもせず、問いかけもせずにだ。
カモッラはカモッラの、警察は警察の、そして、一般市民はあのビデオに映っている通りの行動をとる。つまり、それと共存し、身を守るためにそれの側で日々を送るのだ。
無関心な態度は恐怖の裏返しであり、自衛本能である。そして、この自衛本能は物理的な意味だけを指しているのではない。日常の生活を守るために自衛本能しか持ち合わせていない者に対し、腐敗のメカニズムを取り払おうとする力強い兆しが外側から届いていないのに、それを捨てろとは言うべきではない。
ナポリでは10〜15年経ってからでも復讐は果たされる。
マリアーノ・バチョテッラーチノが殺されたのは、そんな復讐沙汰のひとつ。10年も経っても忘れられることのないジェンナーロ・モッチャ殺人事件。
これほど時間が経ってから復讐が果たされるとは思いもよらないものなのだが、ここでは時間はゆっくりと流れる。
バチョテッラーチノ然り、ジュゼッペ・セトーラ然り、おそらくバチョテッラーチノの刺客も然り。皆、カモッラのメンバーであり、司法当局からは良く知られた面々だ。
裁判中と言うことで彼らが自由の身とされていたのか、手続き上の誤りでファミリーのもとへ返されてしまったものなのか。
有罪判決は信じがたいほどの遅れをともなって下される。それはまるでシャンデリアを壊してしまった子供が、30年も経ってから父親にぶたれるかのように。

法廷がぼんやりしてる間も、カモッラの記憶は途切れず、冷酷だ。
つまり、時間的にも空間的にも安全が保証されないならば、絶え間なく執拗に感じる危険から逃れることは、はなはだ難しくなる。直接、手を下された者は、あたかも屈服したかに見えるほどにだ。
殺されたバチョテッラーチノの妻はニュースレポーターにインタビューされ、
「たくさん殺されていて、うちの夫も殺された。それのどこが問題なんですか?」と答えている。
『事件に関して、どう感じるか?』などと言った質問にうんざりし、犯人割り出しのための呼びかけにも関与したがらない。
「私は尋ねたりしませんよ。言いたいことがあれば言ってくるでしょ。どうやって私が尋ねられたりできるって言うんですか?」

ナポリで人が死んだ時、その家族がどう反応するかを見て、その場に居合わせた者の誰もが多くのことを理解する。
無実の罪で亡くなった被害者の家族は、どう反応していいのか分からないでいる。なぜ、自分達にこんなことが降りかかったのかを理解することができない。半信半疑のまま、恐怖で茫然自失となる。
しかし、こんな風に殺されることで何かの帳尻があったのだと感じる家族では、反応が違うのだ。
叫び出す者、嘆き苦しむあまり髪をかきむしる者。手を下した者にメセージを送るために、地獄の責め苦の中に身を置かねばならない。つまり、『これで終わりにしてくれ。これが最大限の苦しみなのだから…』と。
たとえ夫が殺されても、それが汚いやり口じゃないならば、感謝さえする。近親者には近づかないだろうし、皆殺しにはしないでくれたのだから。バチョテッラーチノの妻は怒りさえ感じていない。
「誰に対して腹を立てればいいんですか?腹を立てていられませんよ。ただ、あの人達のために祈るだけです。夫のために祈るように、あの人達のためにもね。わたしはカトリック信者で、教会に通ってるんで。」
まるで20年前の話のようだ。信者であると宣言する陰で、自分自身を正当化する。あたかも信仰が忍従を科しているかのように。慰めは屈服と同時に得られるものであるかのように。

このビデオ映像はイタリアのあらゆる矛盾を浮かび上がらせ、マスコミの注目を一斉に浴びはしたが、政治上の議論を引き起すことはなかった。
犯罪はニュースであり、スキャンダルである。それが生映像で伝えられた時にはなおさらだ。しかし、治安面だけに限らずそこから波及してゆく側面に、さほど残虐性もなくドラマチックでもない側面に対し、もしも誰も立ち向かおうとしないのならば、すべては煙に巻かれて終る危険性がある。
政府はみずからに、そして国の三分の一を人質に取っているメカニズムにメスを入れる気はない。全国に放映された犯行ビデオも、たいして役に立たないと言うわけだ。
イタリア南部における悪の権力や、その隠れ蓑になっている者らに決して逆らわない政治家達。その政治家達に居場所を与える危険を犯し続け、改革をなす気がないと言うのならば、一体どうやって文化的な変化を強要させることができるのか?イタリア政府の無関心のせいで、人の受け売りばかりが流れ、言い分を認めさせてばかりいる時に、地中海の人間特有のものとされている沈黙の掟がボロボロになっていることを、どうやって想像させられるのか?

沈黙の掟と言うのは今では、沈黙を守ることだけではない。『知りたがらない』と言うことを指すのも、もはや明らかとなっている。
知らない、わからない、はっきりとした態度を取らない、関わらない…と言うのが、新しい沈黙の掟なのだ。
エドアルド・デ・フィリッポを思うと、さきほどの台詞で悪態ついてみたくなる。
空気がなくなったって、生きてくための権利なんかないって言われたって、知らないふりをしていれば、大したこっちゃないって言っていれば、自分らみんながどうってことなくなっちまうんだ。
(2009年11月1日 La Repubblica)

 

 

その後、イタリア内務大臣からコメントが出てましたが、
「映像公開を指示した検察官は個人的にも信頼おける人物ではあるが、自分だったら写真だけにとどめ、映像までは公開しなかったのに…。」と言う程度のものでした。
ただ、犯人特定と平行して、逃亡中だったカモッラの大物ボス兄弟が逮捕されてるんですよ。
これって、なんらかの波及効果だったのではないでしょうかね…。
 

イタたわニュース関連記事
殺人映像、妻と姉が激白:カモッラ(ナポリマフィア)
マフィア殺人映像、白昼の刺客【動画】:カモッラ(ナポリマフィア)
マフィアは地震の後にやって来る、ゴモラのサヴィアーノが語る【前編】
マフィアは地震の後にやって来る、ゴモラのサヴィアーノが語る【後編】


Pocket

,

6 Responses to 殺人映像、その後:死都ゴモラのロベルト・サヴィアーノが語る

  1. ぴの 2009年11月4日 at 5:56 AM #

    死都ゴモラは生々しくて刺激が強過ぎる感じがしたので未だ読んでいません。このショッキングな動画はyahoo.itで見たのですが随分と簡単に殺しちまうもんですね・・・。

  2. chirico 2009年11月4日 at 7:24 AM #

    ぴのさん、こんにちは。

    そのあまりの『簡単さ』が、さすがにこちらでも衝撃的で、とりあえず犯人特定には役立ったようなのですが、そこから先が難しいようです。

    ただ、ここ連日、ぞくぞくと女性を含むマフィア関係者が逮捕されてるんですよ。
    波及効果なのか、どうか…。

  3. Sanzone 2009年11月5日 at 2:05 AM #

    Savianoの記事、ラ・キリコさんが
    おっしゃるように記者が書いたものより
    「熱い」ので、読み応えがあります。
    (彼の話し方にも惹かれます)

    少し前にあったRomへの流れ弾事件、
    あの映像でも、今回の映像でもそうですが
    とりあえず誰も「パニックにならない」・・・
    平気で携帯で話しながら死体を超えてゆく
    ナポリ人たち・・・これが一番の
    衝撃ですね。私にとっては。
    「無関心」というか。
    Omerta’ 沈黙の掟は今や「無関心」も
    必要なんですね・・・

    この犯人が捕まったとしても
    結局ナポリは何も変わらない。
    カモッラは依然としてカモッラで、
    市民は誰も何も、どこにも協力を
    与えないし、求めない。
    司法もなにも動かない・・・

    Savianoのla bellezza e l’inferno、
    読みました?
    私、まだ読んでないので
    そろそろ読んでみようかなぁ〜

  4. chirico 2009年11月5日 at 9:09 PM #

    Sanzoneさん、こんにちは。

    実は、別の方からのコメント返しの際に白状してしまおうかと思ったのですが…

    わたし、『La bellezza e l’inferno』どころか『Gomorra』も読んでないんですよ。
    こんなブログを書いてて興ざめかとは思いますが、こんなブログを書いてるからこそ時間も余裕もなくって…。

    この夏、日本に帰省した際、『Gomorra』の日本語訳を買おうかと思ったんですが、「読みづらい…」との口コミに躊躇してしまい…。
    確かに、Savianoの文章は熱くって、訳していても時々、ドカンと来るほど力の入った(えらい長い、修飾句の多い)文章が頭とか締めに来ますものねぇ。
    あれを、もし、そのまま後ろから訳し上げられてたらキツいだろうな〜と。
    (いや、読んでないから、想像だけですが)

    ナポリ出身のSavianoが書いてるのだから、この南部問題と言うのも決して興味本位で書かれたものではないはずですが、どうしても中部在住のわたしなんかは『対岸の火事をながめる』感になってしまって。
    やはり、実際に住んでる方の話を聞いてみたいと思いますよ。
    (イタリア南部在住の日本人の皆さん、良かったコメント送ってください)

  5. Sanzone 2009年11月5日 at 11:11 PM #

    「死都ゴモラ」、確かに読みにくかった・・・
    伊語版を買ったまま放置し、日本語訳を
    ついつい読んでしまったんですが、
    読みにくいの、なんのって。
    でも仕方ないですね、Savianoのイタリア語を
    日本語にはなかなか訳せないと思います。
    (かと言って、あの伊語版を読むのも
    かなりの覚悟と時間と労力が必要で:笑)

    映画はご覧になりました?
    私は映画を観た後、DVDまで手に入れて
    家でもゴモッラanziカモッラ漬けに
    なってます・・・
    キリコさんが北にお住まいなら、
    すぐにお貸しするのですが(笑)

    ほんと、南部在住の方の意見も
    お伺いしたいですね。
    北だと「対岸の火事」どころか
    「これって、南米の話でしょ?」みたいな
    遠い未知の国の話みたいで・・・

  6. chirico 2009年11月7日 at 2:05 AM #

    Sanzoneさん、本当にお借りしたいぐらいですよ。

    このブログを始めてから、とにかく1日中、新聞読んで、翻訳して、情報番組見て…の繰返しで。
    これはこれで勉強にも励みにもなるんですが、来年ぐらいになったら、ちょっとペースを落とすなり、他のこともできるよう考えていかないと…

    南北問題もマフィア問題も、イタリアに居てさえ場所によっては遠くの出来事に感じるのだから、日本からだとなかなか想像しにくい問題じゃないかと思います。

    それでも『コーザ・ノストラ』って日本語で検索した時に、音楽バンドとか洋服屋さんとかが出てくると、さすがにちょっとなぁ…と。
    いや、人それぞれなんでしょうけど…

コメントを残す

スパム防止の為、計算に答えて下さい * Time limit is exhausted. Please reload the CAPTCHA.

Top