廃墟に残る母娘:イタリア地震

6日未明に起きたイタリア中部地震は、まだまだ揺り返しも続き、TVでも続報から、耐震規準に関する討論、一部マスコミの報道姿勢に対する揶揄などの番組が続いております。
震災泥棒をはじめ、震災後の問題がぼとぼちと出始めているのですが、避難拒否が特に高齢者らの間で問題となってきているようです。

 

ラクイラ『 “ここを動かないわよ、猫達を置いてけないから” 廃墟に住む母娘』

「誰が?わたし?違いますって。いえ、ちょっとね、猫達にエサをやって、母の薬と、冷蔵庫のチーズと、棚から砂糖を取って、タンスの中の洋服もちょっと取って、鉢植えに水をやって、ついでに体も洗って……で、家から出てきたってわけですよ。もちろん大急ぎでね。」
ヘルメットをかぶった警官は、首を左右に振った。どうにもならないと言った様子で両腕を広げ、離れて行く。
悪戯小僧のような表情を浮かべるカテリーナ・マルツォーリさんを前にしてできるのは、ただ諦めることだけだ。

毎朝、救護テントの方へ避難するよう勧められても、断り続けるマルツォーリさん母娘。
「ありがとうね。でも、ここを離れたくないのよ。アブルッツォの土地じゃ昔から、一度出たなら帰れないって言うからね。それに猫達の世話もあるし。5匹飼ってるのよ。この子達をここから動かすことなんてできないしね。あなた、コーヒーでも一杯いかが?」
ラクイラ市の中心街で最も高台にあるサン・ベルナルディーノ広場付近に住むマルツォーリさん母娘は、2km四方に渡る瓦礫の山の中で、唯一、生活を続けている人間だ。
母親のエルヴィラさんと娘のカテリーナさんは、他の人々が皆、避難してしまったことを口にさえしない。『家に残る決意をした』わけではなく、あたりまえに呼吸をするように、ごく自然に必要だからそうしただけ。
サン・ベルナルディーノ広場の階段に面したマンションの1階、マルツォーリさん一家は45年前からここに住んでいる。すでに他界した一家の主ピエロさんの写真が何枚も額に飾られ、窓から見える町の大聖堂、飼い猫たちのほかには、7年前に広場から拾ってきた犬が1匹。家族が根を下ろした場所。大切に守り続けたい物が、ここにあるのだ。

見つめ合う母娘の眼差しはやわらかく、まるで悪戯でも打ち明けるかのよう。二人を取り締れる規則などない。いまや自宅は出入りするためだけの別館と化し、マルツォーリさん母娘が『住んでいる』のは大聖堂向かいの喫茶店が所有する木製の東屋だ。喫茶店のオーナーはトイレの鍵を貸してくれていて、朝になるとコーヒーを入れに店に立ち寄る。
家の近く、安全な距離に駐車してあるグレーのPandaが母娘の寝床で、必要な物がある時は娘のカテリーナさんが家の中へと取りに行く。人の助けはいらない。二人でいれば寂しくもない。
母親のエルヴィラさんは82才、股関節のヘルニアを患い、自由に動くことができない。ホテルの夜警をしていた夫ピエロさんを92年に不治の病で亡くしているが、いまだに思い出しては目を潤ませる。エルヴィラさんは杖につかまりながら立上がると、広場の周りに杖で円を描いた。

父はローマ通りで床屋をしていて、私達は店の二階に住んでいました。夫に出会ったのは、店があった通りでね。その通りの中ほどに建っているサン・ピエトロ教会で結婚式を挙げて。洗礼式から聖体拝受、堅信式も、ぜんぶその教会でやったんですよ。それから娘の洗礼や堅信式もね。45年前に100m離れた家から、今のところに引っ越して来て。この辺に住んでいる人達相手に洋裁の仕事をしてたの。ここから離れたことなんて一度もないんですよ。今さらこの年になって、どこに行けってねぇ。」

アブルッツォ地方の者は家との絆が強い。そして、家の中にある品々は、自分達の人生を現し、密着していると考えている。自分の家に向けられた愛情には、『ゆるぎない意思、持続、耐久』が込められているのだ。
イタリアの哲学者ベネデット・クローチェによれば、家に対する愛着とは、人生を渡り歩いた果てに辿り着く先であり、帰ることのできる巣を必要とし、それを夢見るような厳しい人生の帰結なのだ。この古き良き特性は、この被災地において、更なる責め苦となっている。
赤十字によれば、ラクイラ市周辺の小村では老人を中心に少なくとも千人あまりの人々が自宅に留まりたがり、瓦礫と化した家の前で野宿をして見張っている者もいるのだ。

ラクイラ県サン・ピーオ・デッレ・カーメレ市では、半壊した家から86才になるエンリケッタさんを避難させようとして杖で殴られた民間防衛機関のスタッフらが、「警察にお任せします。」と言って引上げて行った。この手の話はざらにある。無鉄砲な、ささやかな抵抗のように見えるが、生き残ろうとする試みでもある。
サン・ベルナルディーノ広場の方では、マルツォーリさん母娘が夜を越す支度をしている。東屋兼居間にはテレビもある。あのローマ通りやサン・ピエトロ教会は消え去り、瓦礫のくずと化しているのを、エルヴィラさんはニュースで見た。
しかし、エルヴィラさんの世界は消え去ってはいない。マンションの部屋にあふれる物たち、湿った壁に囲まれた品々の中に、エルヴィラさんの世界は息づいている。ひびが入った壁や、寝室の反対側の壁にぶち当たって壊れているタンスらの間に。
カテリーナさんが生まれたのは1958年6月、幾度目かも知れぬ地震がラクイラ市を襲っていた最中だった。
「もちろん、恐いですよ。火曜日には猫達も恐がって、エサ皿に近づきもしなかった。今はミルクをあげているの。ほら、すぐあげるからね、約束よ。」
5分後、カテリーナさんは風刺漫画本を一冊とかぎ針を持って戻って来た。友人の娘さんにブランケットを編んでいるのだと言う。
「暇つぶしになるでしょ。」
そう言うカテリーナさんの笑顔に映るのは無鉄砲さではない。そこに映っているのは希望である。(2009年4月9日 Corriere della Sera)

 

 

本日、イタリア中部地震の犠牲者の方々の国葬が行われました。
わたしは昼過ぎのTVのニュースで見ましたが、1mにも満たない白い小さな棺のいくつかが映し出されると、昼食の支度の手を止めて見入ってしまいました。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

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