安楽死までの17年間 − エルアナ・エングラロ、ある昏睡女性の記録 −【後編】

一昨日から3回に分けてご紹介している「17年間の植物状態から安楽死に至った38才女性」のフォーカス記事、ついに【後編】です。

 

イタリア 『交通事故から亡くなる日まで、エルアナさんの17年間 −後編−』

1999年 − 初判決 −
1996年にベッピーノは娘の後見人に指名された。娘の意思を叶えるための法的な『免許証』も、これで手に入ったのだ。
1999年、レッコ地方裁判所とミラノ控訴裁判所を行き来することとなる一連の通達、請願が始まる。栄養補給の停止を求め最初の訴訟が始まったのは1999年1月19日。
3月上旬、訴えは承認されず、数日後の3月14日、ベッピーノは判決を不服とし上訴するが、裁判官らにより却下される。
2002年、レッコ地方裁判所で再び上訴を試みる。破棄院(最高裁に相当)で審議されるまでに至るが、勝利は得られず。
2005年、新たな弁護士で再び破棄院に請願し、その結果、特別後見人を要するとの決定が下される。2005年11月21日、こうしてエルアナの後見人としてフランカ・アレッシオ弁護士が任命されることとなる。
その1年後、レッコ地方裁判所で新たな申し立てに挑むが承認されず、ベッピーノはミラノ控訴裁判所へと赴くこととなる。この際、訴えは受理されるが、承認されるには及ばず。
そして、裁判が終盤へと向かう翌年の7月、ついに破棄院での判決を勝ち得る。栄養補給チューブを外すための道のりが、こうして見えてきたのだ。 

2008年7月9日 − 裁判官らによる承認 −
月日は流れて行った。エルアナの身は常に修道女らの元に置かれ、父親の方は新聞やTVにその姿を現していた。ベッピーノの裁判は世間に衝撃を与え、法律家らの関心の的となり、カトリック界らを憤慨させた。
10年に渡る審議の末、2008年7月9日、ミラノ控訴裁判所は審議の見直しを計り、栄養補給の停止を承認した。破棄院より提示された条件、つまり、植物状態からの回復はなく、延命中止がエルアナの意思であると証明されたため、栄養補給チューブを外せることとなったのだ。
ベッピーノにとっては、この上ない大きな勝利だった。「国が定めた法律が勝ったのだ。」と繰り返し、「これでエルアナは自由になれる。」と言い添えた。

2008年10月12日 − 出血 −
しかし、ベッピーノと娘の長い受難は、まだ終わってはいなかった。今度は、裁判による判決を実行してくれる病院を探し歩くこととなったのだ。
ベッピーノらが住むロンバルディア地方では、この施行は禁止されている。トスカーナは尻込みし、ミラノでは検察が破棄院の通達を不服として上訴し、11月11日には最後の審議が執り行われることとなっていた。
しかし10月12日、エルアナの容態が悪化。出血により危篤状態となる。
待ちながらも、ただよう期待。最期の時を無理矢理迎えるのではなく、悲報が訪れてくれるのかもしれない。ベッピーノは病院へと駆けつけ、修道女らはエルアナの傍らで祈った。皆にとって、ここでエルアナが亡くなるのが一番良いことなのだと、囁かれた。
横向きになっている白い顔、チューブから液体が送られている間は動く唇、腕につながった点滴。エルアナは死に瀕していた。
だが、夜には出血が止まり、身体の機能は戻ってくるようだった。
そして4日後、危機を脱する。エルアナの運命は、再び判決へ委ねられることとなった。

2008年11月13日 − 政府による阻止 −
11月13日、父ベッピーノは破棄院より、栄養補給の停止は実行可能であると回答される。イタリア北東部フリウリの病院が、エルアナの最期の旅路のために2部屋を用意し、その到着を待っていた。
しかし、イタリア政府が同意しない。修道女らは既に延命をあきらめ、母サトゥルナが買い揃えたトレーナー等の衣類はかばんに詰められ、エルアナを迎えるための救急車も出発したと言うのに、ローマから阻止命令が届いたのだ。
サッコーニ保健大臣より、回復の見込みのない患者に対する栄養および水分補給の中止を禁ずる命令が下されたのである。
待つ日々が再び始まった。なぜならば、エルアナを受け入れるはずの病院が、政府の決議を考慮しだしたのだ。
父ベッピーノにとっては新たな悪夢であり、延命を望む修道女らにとっては奇跡だった。そして、永遠の静寂の中で生きるエルアナは何も知らぬまま。
しかし、ウディーネの町に新たな解決の光が見えた。老人ホーム “ La Quiete ” がエルアナの受け入れを申し出てきたのだ。エルアナの準備は整っている。今度こそ後戻りはしない。

2009年2月3日 − 最期の旅路 −
2月3日、エルアナを乗せた担架が、救命士と共に救急車の中へと運びこまれた。
夜中、4時間に渡る移送。エルアナは咳が激しく、痰が多く出ていた。修道女らは、エルアナの世話をよろしくとくれぐれも頼むが、なんのための世話となるのか。
午前5時55分、ウディーネの町へと到着。地下に用意された一室は、水色の壁に明るい木目のベッドが置かれていた。老人ホームの外からは、延命を望む者の抗議の声と、父ベッピーノの決断を支持する者からの拍手が聞こえている。
それから3日間、エルアナの咳は治まらない。
6日金曜日より、栄養および水分の補給が止められた。医師らはエルアナの症状を緩和させる処置も始める。

2009年2月9日 − 死亡 −
午後20時10分、エルアナ死亡。翌火曜日、最期の別れに父ベッピーノが訪れる。[敬称略:完]
(2009年2月10日 Corriere della Sera)

 

 

ついさっき、4年前に録画されたエルアナさんのお父さんのインタビューが、某TV番組で流れていました。
当時はまだ闘志あふれる中年男性の面影で、現在の痩せた老人のような風貌を思うと、この数年間の苦労が忍ばれます。
エルアナさんのご冥福をお祈りします。

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