安楽死までの17年間 − エルアナ・エングラロ、ある昏睡女性の記録 −【中編】

昨日に引き続き、「17年間の植物状態から安楽死に至った38才女性」のフォーカス記事【中編】をどうぞ。

 

イタリア 『交通事故から亡くなる日まで、エルアナさんの17年間 −中編−』

1992年〜94年 − 母親による介護 −
エルアナの物語はこうして始まった。もはやパーティーへも行けない。友達もなく、海や山で過ごす休暇もなく、流行のお洒落も楽しめない。将来の計画も立てられない。1月18日を境に、病室での生活、リハビリ・リポート、容態を探るための医療検査だけの日々となったのだ。
両親にとって、これは2年間の待ち時間だった。母サトゥルノは常に病院へと通った。医師からは、エルアナに話しかけて刺激を与えるように言われていた。ほとんど毎日病院を訪れ、娘に話しかけた。しばらくの間、エルアナが別の離れた病院へ入れられることになった時も、同じように通い続けた。距離など問題ではなかった。病院へとやって来て、甲斐甲斐しく娘の世話を焼く。パジャマやトレーナー、セーターを買い与え、何も不足がないように、しっかりと着込ませる。
親友のラウラも一緒に病院へと通った。いつかそのうちエルアナが目覚めるのではないかと望みを抱き、何時間も話しかけた。
そして2年が過ぎ、ついに最終的な診断が下される。1994年、医師らはエルアナが植物状態に入っていることを告げた。遷延性意識障害(せんえんせいいしきしょうがい)、永続的な植物状態。
だが、専門的な名称等はどうでも良いのだ。ベッピーノにはよく分かる。いや、あの蘇生室のベッドにいる娘を見た時から、ずっと分かっていたのだ。娘はもう元には戻らないと言うことが。『生粋の自由人』だった娘は、10才の時には両親にこう言っていた。
「私の人生よ。父さんたちには関係ないじゃない。」
もはや、これも思い出話の一つに過ぎなくなるのだ。

1994年1月 − レッコへ転院 −
1994年、エルアナはレッコの町にある私設病院へと移された。慈善団体の修道女らが運営する病院である。母サトゥルナにとっては幸運だった。これでもっと長い時間、娘と共に過ごせる。見舞いの品をせっせと運ぶことができる。
修道女らがエルアナの世話を焼いたのは言うまでもない。特に室長のシスター・ロザンジェラは、まるで我が子のように扱ってくれた。
エルアナには3階の手術室近くの個室が与えられていた。1970年11月25日、この手術室でエルアナは生まれたのだった。

1995年 − 法廷での戦い −
父ベッピーノは諦めてはいなかった。彼の中には、ある考えがあった。あの子らしくさせてやりたい、望み通りにさせてやりたいと言う考えが。強い想いがベッピーノを法廷闘争へと駆り立てていった。
「私は良い父親じゃなかった。いつも仕事ばかりで、娘のそばに居てやれなかったんだ。せめて今ぐらいは、娘のそばに居てやりたい。娘の意思を尊重してやりたい。」
ベッピーノは仕事を辞め、『娘の意思を叶える』ため法廷での戦いに取組むこととなった。
1995年、転機が訪れた。テレビに出演していたカルロ・アルベルト・デファンティと言う神経科医を初めて知るのだが、この人が、ミラノの生命倫理評議会とのコンタクトを計ってくれることとなる。
2009年にウディーネの町で終結する長い訴訟が、こうして始まった。
一人孤独の中にいた父親にとっては、一縷の望みだった。ベッピーノは『娘を死に追いやる父親』として誰からも理解されず、自分のことを『野良の子犬が、負け犬の遠吠えをしている』ように感じていた。誰も耳を傾けてくれないのなら、本にでも書こうかと。

− エルアナの日々 −
レッコの私設病院でのエルアナの日々について。このページに正確な日付はない。17年間、いつも変わらぬ日々なのだから。
ベッピーノはほとんど毎日、娘の元へと通う。特に夕方は容態が安定していた。朝が早いエルアナにとっては、もう一日の終わりと言えるのだが。朝5時には、シスターらが清拭(せいしき)にやって来るからだ。歯を磨き、髪を洗い、拭いた身体にパウダーをはたく。それからTシャツと短パンに着替え、筋肉の衰えを防ぐための体操。春夏には中庭での散歩。当初はエルアナを車いすに乗せ、ぶしつけな視線を遠ざけた病院の中庭で、花壇沿いに散歩をさせていた。そして病室へと戻り、栄養補給を始める。ベッドの右側にぶら下げられた袋に、鼻の中までつたう透明なチューブ。12時間の栄養補給と、同様に水分補給。いつもと変わらぬ日々。父親が誰にも理解されぬまま、裁判や弁護士のためにを奔走し始めたことも知らぬままに。
一方、希望がなくとも娘の元へ通い続ける母サトゥルノ。両親の意思は一つだった。娘はこんな風には生きたくないのだと。
サトゥルノもまた戦い、そして表舞台からその姿を消した。重い病に倒れ、入退院を繰り返すこととなったのだ。サトゥルノが人前に姿を見せるのは、必要な時だけとなった。[敬称略:後編に続く]
(2009年2月10日 Corriere della Sera)

 

 

今日、エルアナさんのお葬式が執り行われたのですが、ご両親はマスコミを避けて参列はしませんでした。
最後の別れができるようにと、霊柩車がエルアナさんの実家の前でしばらく止まっていましたが。

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